東京杉並の「堀之内妙法寺」。素晴らしい神兎スポットとなっています。
環七からちょっと入った所にある大きな寺院ですが、東京の人にもあまり知られていないかもしれません。しかし、江戸時代には浅草寺と並ぶほどの有名な寺だったとのこと。
元は浄土宗の尼寺だったところを、元和年間(1615~1624年)に日蓮宗に改宗。現在は本山の銘をもらっています。こちらが仁王門。廻縁つきの2層造りで、彫刻が見事。納められている金剛力士像は徳川綱吉による寄進だそうで。これが住宅街に突然現れます。東京も奥が深い。
祖師堂です。厄除け祖師像(日蓮像)が安置されています。ご利益を求めて江戸時代から多くの参拝客を集めました。
祖師堂の彫刻は見事です。向背の龍の彫刻は緻密かつダイナミック。また虹梁の上には、角を持った神獣が配されています(麒麟?)
伽藍内にある鉄燈籠。これも意匠が面白い。見応えがあります。
さて、そんな祖師堂の後ろ側に周り、さらにその奥にある本堂の裏手に回り込みますと…。
「廿三夜堂」です。ひっそりと建っていますが、ただならぬ兎オーラを感じます。
二十三夜の夜、人々が寄り集まって飲食を共にし月の出を待つ進行行事で、廿三夜講 あるいは三夜供養ともよばれている。二十三夜の月には三体の菩薩の姿が現れる、あるいは、勢至菩薩をまつるなどの言い伝えがある。「二十三夜待つ」と年中いのれば願望が叶うといわれている。とくに当山の廿三夜堂は古くから、縁結びと財運に霊験あらたかとして、現代ますますの信仰を集めている。(堂前 由緒掲示板より)
大きく張り出させた銅板葺きの唐破風の頂上に、3柱の波に跳ねる神兎。このような配置は初めて見ました。耳がとれてしまっていはいますが、お堂の周りを跳ね遊ぶ神兎を見事に表わしています。
虹梁の下側にも兎が彫り込まれています……ぉゃ?
…
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神兎研究会であるならば、この右上にさらに神兎がいることに気付きましたでしょうか。
しかも…。
ぴょん、ぴょん、ぴょん、ぴょん。
跳ねまくっています!左側計4柱。
そして、右側にも4柱(3柱しか写ってませんが)。
さらに堂の名前を刻む扁額(へんがく)の縁には…
ぴょん、ぴょん、ぴょん、ぴょん、ぴょん、と計5柱。
写真を撮っていて、こちらも小躍りいたしました(笑)
「二十三夜講」を始めとする「月待行事」は、十五夜、十六夜、十九夜といった特定の月齢の夜に、「講中」と呼ばれる仲間が集まり、飲食と祈りを捧げ、悪霊を払うというもの。室町時代から始まり、江戸時代、文化・文政年間に全国的に流行しました。根にあるのは道教や密教の信仰です。
この月が、月にいる兎と結びつき、この意匠になったのだと思われます。
毎月二十三夜にはお堂も開くとのことで、そのうち訪れてみます(10月が二十三夜尊大祭)。中には、白蛇が石になったとされる「なで石」が納められているとのこと。
ところで、二十三夜堂の後ろに回りこむと、この堂は石造りとなっているのが分かります。この石が面白い。
「房州石」と呼ばれる波模様が入った石材。房総半島の東京湾側、富津や鋸山等でとれる凝灰質の砂岩で、江戸末期~明治にかけて、採掘されていました。通常であれば偶然かな?とも思うのですが、これだけの波兎を配したお堂ですので、間違いなく狙った意匠でしょう。(※「伊豆石」かもしれません)
お堂全体で波兎を表現している徹底ぶりに、感動いたしました。
お堂の脇には絵馬所があります。
絵馬に描かれているのは「二十三夜大月天王」とあります。手にもった宝珠の中には兎が描かれています。
こちらは「月天」あるいは「月天子」です。「十二天」の一柱。左側が高野山霊宝館のもので、右側が東寺の十二天図。月天は月を神格化した仏であり「チャンドラ(Candra)」と呼ばれ、バラモン教から仏教に取り入れられました。ちなみに対となる「日天子」は三本足の烏を伴っています。
本堂の前には「お願い事帳」という大学ノートが置いてありました。かなり書き込まれており、熱心に参拝される方が多いことを感じます。
いわゆる神道ではありませんが、月と兎への大いなる尊崇の念があります。一度是非訪れてみてください。
名称 | 堀之内 妙法寺 廿三夜堂 |
宗派 | 日蓮宗 |
住所 | 東京都杉並区堀ノ内3-48-8 |
HP | http://www.yakuyoke.or.jp/ |
ところで。
こちらもオススメなのですが、お寺から環七を渡って反対側、『SEN YO(川陽)』さんの麻婆豆腐。花椒が効いて、抜群です♪
御朱印もウサギあり
本堂内のぼんぼりにウサギ
別件、亀戸天神、初卯祭(御嶽神社)は、昨日でした。