明けましておめでとうございます。
昨年末から自由な感じで更新を進めておりますが、2014年も引き続き、無理ない範囲で神兎研活動をしていければと思います。
さて。
私、ちゃぶちは東京在住でございます。例年、浜松の実家に帰っているのですが、今年は所用ございまして東京での年越し。初詣の場所を色々考えまして、ここはやはり兎密度の濃いところへ行こうと、浦和の調神社(つきじんじゃ)に参ることにいたしました。
2日に伺ったのですが…、すみません、ちょっとナメていました。通常の週末だと、参拝客はパラパラという感じなのですが、年始の今日は、境内の外までずらりと行列が伸びています。愛されていますね。
参道までやって参りました。
社殿『調宮縁起』によれば、創建は開化天皇(第9代)3年。崇神天皇(第10代)時代に、伊勢神宮の斎主・倭姫命により、武蔵野から神宮への調物を納めるための集積所の倉が建てられたとされています。この際に、調の運搬の妨げになるということで、鳥居が取り払われ、現在に至っているとのこと。
この「調」の読みである「つき」が、「月」につながり「月待信仰」と結びつくことで、兎が神使となりました。
行列は続いています。入口左右には…。
狛犬ではなく狛兎です。
左右とも子兎を撫でながら遠くを見つめている、懐の深い愛らしい神兎。
…あれ? 新しくなっていますね? 前は左側の狛兎の耳が折れていたのですが…石材も御影石になっているようです。そのうち昔のものもアップしてみます。
さて、参道を奥に進みます。
左右には屋台が出ていました。
お隣りの越谷の伝統工芸品であるダルマが多く売られています。そういえば絵本で「だるまちゃん」(著:加古里子)シリーズというのがありましたね。「だるまちゃんとうさぎちゃん」は、雪遊びをする話でしたか。
今日は手水舎も大混雑です。
手水舎には、一柱の巨大な神兎がいらっしゃいます。温和な表情とふくよかな体つきで、浄めの水を提供してくれます。後ろから見ると丸い尾があったりして、全国の石神兎像の中でもトップクラスの愛らしい造型です。
口からほとばしる水が、ちょっとシュールなのですが…。
拝殿の前まで来ました。混んでます。
本殿前には2本の杉の木があり、左右に注連縄を渡しています。柱となっている木には…
日の出に向かって跳ねる波兎が描かれた羽子板が飾られていました。
本殿前も混み合っています。手前のネットは遠くからお賽銭を投げないようにするもの。いけません、そんな無作法な真似は。
本殿の虹梁(こうりょう)の両端には、それぞれ2柱ずつの神兎が波に跳ねています。結構鋭い目ですね。神兎研会員としては、左右の神兎も拝みつつ、主祭神にも参りましょう。
祭神 | 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 豊宇気姫命(とようけびめのみこと) 素盞嗚尊(すさのおのみこと) |
伊勢神宮の内宮(天照大御神)と外宮(豊宇気姫命)をお祀りし、関東で広く崇敬される素盞嗚尊(近くの大宮の氷川神社が中心)も加わっています。
拝殿左右には、鉾が出ていました。こちらは普段はありません。
鉾には旗がついており、神紋や龍が配されています。伊勢神宮にはあまり鉾のイメージはありませんが、素盞嗚尊といえば祇園祭りの鉾ですね。この辺りの祭祀道具の違いは興味深いです。
社務所も賑わっています。
神兎のお守りや土鈴もあります(これはそのうちまとめます)。破魔矢には残念ながら兎は配されていませんでした。
さて、こちらの見所として、かつて本殿として使われていた稲荷社があるのですが…。
ありゃ?工事中ですね。
脇に仮殿がありました。
囲いの中を除くと稲荷社がありません…(涙)
恐らく修理中ということなのでしょうが、復活はいつのことでしょうか?
2007年に訪れた時の写真をアップいたします。
享保18年(1733年)に本殿として建立されたもので、大きくはありませんが、各所に神兎の彫刻が配されており見事でした。安政年間まで本殿として使われていたとのことです。
虹梁上部と蟇股に3柱の神兎。
また建物左右奥には、雲海に浮かぶ月を前に跳ねる神兎の欄間がありました。波と雲をうまく一体化した図案は、神兎研の神紋が目指しているところです(うまくいってませんが(そのうち直します))。
さて。
せっかく屋台が並んでいますので、ウロウロしてみます。
これだ!チョコバナナ! 久しぶりに食べました。
コアラのマーチが乗っています(笑)
この反り具合、三日月に見えませんか?
境内の池を眺めながら頂きました。
池には、勢い良く口から水をほとばしらせている神兎がいらっしゃいます(笑)
本年も何卒よろしくお願いいたします。