京都の夏の始まり、祇園祭。
迫力のある山鉾巡行の中に、神兎の姿が見え隠れしております。
祇園祭は7月頭から1ヶ月かけて行われる八坂神社の祭礼。山鉾を曳き回す「山鉾巡行」はハイライトのひとつです。京都の大通りを交通規制して、次々と巨大な山鉾がやってきます。
順番は毎年違いますが、先頭は、長刀鉾(なぎなたぼこ)で決まっています。威風堂々と進む25mもの山鉾は壮観。
そもそも祇園祭とは、八坂神社(祭神は素戔嗚尊)の神事。貞観11年(869年)、京に疫病が流行したのを、牛頭天王(=素戔嗚尊と習合)の祟りと考え、その時の国の数である66本の鉾を立てて、祟りを鎮めようとしたことが始まりとされています。
祇園祭の由来ではあまり語られませんが、しっかりとお祀りしないと、つまり牛頭天王は激しく祟るのです(その最も有名な話が、蘇民将来の伝説です)。
鉾は依代となり、巡る街の祟りや悪霊を集めると言われています。祇園祭のクライマックスである山鉾巡行は、京都の街を周ってその山鉾に祟りを集めることに本質があるようです。そのために、悪霊を集め終わった山鉾は、その日のうちに解体します。
先頭の長刀鉾には、10歳くらいの「稚児」が載ります。稚児は生神(いきがみ)。八坂神社から長刀鉾町へと養子に出すという形を取られ、神として儀式を司ります。
さて、各山鉾には、中国やインドの絨毯など美術的に貴重な装飾がされており、現在ではオリジナルは保存して、新調したものをつけています。長刀鉾の前掛けは上村松篁の花模様の織物とのこと。豪華絢爛。
それぞれの山鉾にいわれがあり、中国の故事や日本神話、謡曲、民間伝承と、そのルーツは様々。各々に特徴のある装飾がされています。全32基の中で、神兎を抱く3基を紹介します。
月鉾
月鉾は最も大きく重い山鉾です。応仁の乱以前より存在します。
鉾頭に“新月(三日月として表現されています)”をいただき、天王座に月読尊を祀っているのがその名の由来となっています。
大迫力・・・。
鉾に祀られる月読尊は、祭り全体の祭神である素戔嗚尊の兄神。イザナミが黄泉の国より戻り禊を行った際に、天照大神と共に生まれました。日本神話の中では月読尊はやや目立たない存在ではありますが、各地で深い崇敬を受けています。
装飾はとにかく豪華で「動く美術館」という例えは間違っていません。
屋根裏には、江戸中期を代表する画家、円山応挙作の“金地彩色草花図”、天井裏には、岩城清右衛門作“源氏物語五十四帖扇面散図”、前掛けは、17世紀インドムガール王朝時代の「メダリオン緞通」、見送りは皆川月華作“黎明図”、また天水引には、円山応震下絵の“霊獣図刺繍”等々
《月鉾HP解説》
月鉾は、山鉾巡行の中でも一番の見所でしょう。
ちょっと切れてしまっていますが、載せている稚児人形は「於兎丸君」。
「おとまるくん」ではないですよ。「おとまるぎみ」です。(すみません、私も間違えて読んでいました) 明治までは、生稚児が乗っていたそうです。
月鉾だけに「兎」を入れたお名前にになっています。「於」は、女性や子供の名前の前に良くつける親愛の文字です。
そして、屋根の下、破風の中央に…
見事な神兎がいらっしゃいます。
前後に一柱ずつ。こちらは後ろ側です。
日光東照宮の眠り猫でも知られる名工・左甚五郎の作と伝えられます。躍動感に溢れ、生き生きとした姿。黄金に輝く波しぶきの中、白く鮮やかな肌が映えています。耳の中の血管まで描きこみ、歯まで作りこんでいる緻密さ。
国内の神兎の中で、最高峰と言ってよいでしょう。
前方の神兎は見返りです。山鉾の高い位置に座して、ちょうど観衆を眺め下ろす形になっています。この視線も計算されたものでしょうか。鬼瓦的な強い視線がとても印象的です。
ちなみに、兎の上の千木付近には、三本足の八咫烏が座します。月鉾全体としては「月」や「水」のイメージで構成されていますが、八咫烏はその対照である「日」を表します。「日月」の組み合わせを意識したものなのでしょう。
木賊山
「とくさやま」と読みます。木賊とは、観賞用としてもよく使われる節のある植物。
この山鉾では、世阿弥の作と伝えられる謡曲「木賊(とくさ)」を題材に作られているとのこと。木賊刈りの老翁が、人にさらわれて生き別れになってしまったわが子を思いながら舞う、という設定であるとのこと。
この山鉾の四隅に垂らしている紐飾りの金具に、兎が彫り込まれています。
実は、古来の兎の文様の組み合わせとして「木賊に兎」というものがあります。
老翁がわが子と生き別れになった場所は、信州園原という木賊が生い茂る場所なのですが、この場所はまた、月の名所としても知られていました。この月から、兎へとつながり、「木賊に兎」という文様に発展したと言われています。
※木賊はヤスリとして使われるため、月が磨いたように美しい様からのつながりという話もあり、さらには兎は歯を木賊で磨くという話もあったりもします。
この神兎は耳をそばだてています。深く茂った木賊の原の中で、迷い子をその長い耳で見つけだす神兎なのかもしれません。
太子山
最後のひとつは「太子山(たいしやま)」です。聖徳太子を祀っており、聖徳太子が四天王寺の六角堂を建てる際に、自ら山に分け入り見つけた杉の巨木を探しだしたという故事に因んでいるそう。他の山鉾が真木に松を使うのに対し、杉を使っているとのことです。
ご神体は、少年像の聖徳太子で、右手に斧を振り上げ、左手には扇を持っています。
18世紀の中頃にインドで刺繍された逸品「金地孔雀唐草文」を胴懸とし、その上に網目模様の組紐七宝編みの水引きを掛けています。四隅には、見事な飛竜の金具。
そして見送り(後ろ側)には「波涛飛龍図」綴織が配されています。これは中国明代末の図柄をもとに織られています。
その止め金具に、兎と烏が・・・。
中国明代の龍の図の上部にはよく「日月」が描かれ(北斗七星が描かれることもある)、「日」には烏が、「月」には兎が描かれます。中国皇帝の礼服にも用いられたこの構成は、世界そのものを表していると思われ、それは日本の天皇の礼服にも引き継がれています。
そういえば聖徳太子ゆかりの法隆寺が有する玉虫厨子の中にも、日月の烏兎が描かれた須弥山図がありましたね。
祇園祭が終わると、京都は本格的な夏を迎えます。季節を祭で感じられる京都は、やはりいいですね。
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はじめまして。
故あって月鉾のうさぎの写真が急遽入用になり、検索してこちらにまいりました。
当方手持ちもないため、このページの神兎と月鉾の写真を拝借したくお願いするためここにコメントしました。ここのURLを添えて紙に出力する予定です。どうぞご快諾いただきますよう申し上げます。
2017/01/05 まずは用件のみにて。
追:改めてゆっくりこのHPを訪ねてみたく存じます。