梅まつりと受験シーズンで賑わう湯島の天神様。梅の中に神兎を見つけました。
東大のある文京区本郷からほど近く、ちょうど本郷の台地から上野へと下る坂の途中に、湯島天満宮、通称湯島天神様は坐します。
学問の神である菅原道真公を祀ることから、受験シーズンのこの2月は参拝者は多く、さらに境内で「梅まつり」が開かれているため、かなり賑わっていました。
鳥居は青銅です。寛文7年(1667年)の銘。引き締まった構えです。
梅まつりで、参道の両側には屋台がたくさん出ています。
普段はもう少し静かですが、とはいえ、受験生や地元の参詣者は絶えません。人気のある神社はいいですね。私もはるか昔の学生のころ、詣りました。
とりあえず参道を進みましょう。
正面に拝殿があります。平成7年に建てなおされたものとのこと。
湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。
祭神 | 天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと) 菅原道真公(すがわらみちざねこう) |
天之手力雄命といえば、日本神話では天照大御神が天岩戸に隠れてしまったときに、岩戸を開けた剛力の神です。スポーツの神でもありますね。つまり文武双方にご利益がある神社ということになります。
拝殿を右に回りこむと、本殿が見えます。妻を大きく取った雄大な造りです。合格祈願の絵馬がすごいですね。
本殿裏手は春日通りからの参道にもなっており(こちら側から参詣する方も多い)、広場になっています。
春日通りに沿いに壁を兼ねての回廊が設けられており、ここの蟇股に…
2柱の神兎がいらっしゃいます。
もともとは2柱とも白兎だったのでしょうか? たわわに実った枇杷らしき実と葉の影に遊んでいます。
この回廊には、この他の蟇股には干支の彫刻があります。湯島天神の蟇股は実に多彩で、この廻廊の干支、社務所の神獣、宝物殿の昔話等、楽しくなってきます。実は宝物殿の昔話モチーフには「因幡の白兎」もあったのですが、写真撮り忘れました。また次の機会に。
廻廊には戸隠神社があります。戸隠神社は、天之手力雄命が放り投げた天岩戸が形を変えた、戸隠山を御神体とする神社。つまりこちらが初期のご祭神ということなのでしょう。
ところで、天神信仰といえば・・・
「牛」と「梅」です。
これは唐門に配された文様。
まずは「牛」。菅原道真公が丑年生まれで、丑の月、丑の日に亡くなったという暦の話や、太宰府に左遷され亡くなった後、ご遺体を牛車で運ぶ際に牛が留まった場所を墓所にしたという話があるようです。
道真公(845-903)は平安時代の貴族で、学問に秀でていたため重用され、朝廷の右大臣まで昇進しました。しかし最大勢力藤原氏の陰謀で謀反の疑いをかけられ、京から九州の太宰府へと左遷されます。恩赦を願い待つも叶わず、彼の地で死去。その後、「祟り」であるかのように、京では天変地異が起き、天皇の皇子や陰謀に関わった藤原氏を中心とする貴族が次々と亡くなっていきます。
これを収めるために、京都の北野天満宮、北九州の太宰府天満宮で祀られました。「祟りの神」の圧倒的な力は、やがて信仰を集めるようになります。いわゆる「御霊(ごりょう)信仰」です。
特に、学問に秀でていたところから、学問の神として、広く崇敬されるようになりました。受験生たちにかけられた絵馬所の絵馬はすごい量ですね。
そして、もう一つ「梅」。
これは、道真公が京の屋敷で愛でていた庭木から来ています。左遷され京都を離れる際に、その庭の梅の木との別れの歌を詠みました。
東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
(梅よ。春の東風が吹いたら、きっと花を咲かせて、匂い立ちなさい。主がいなくなっても、春を忘れないように。)
この梅は、道真公を追いかけて太宰府まで飛んでいった(飛梅伝説)という逸話も残ります。実際は京都から株分けしたのかもしれません。太宰府に残る「飛梅」は樹齢1000年を超える白梅です。ここからさらに株分けされて、各地の道真公を祀る神社へと広がっていきました。
毎年2月には、梅まつりが開かれています。野点なども開かれ、賑やかですね。
ところで、梅園の中には、小説家・泉鏡花の筆塚があります。
鏡花が書いた小説「婦系図」の芝居(新劇)には、「湯島の白梅」として、湯島天神の梅が登場します。
この鏡花という人物。神兎研としては注目です。
実はかなりの兎グッズコレクター。“向かい干支”が卯(兎)であったから、ということらしいです。
社務所には、たくさんの学業守に混ざって、干支守もありました。最近は干支守を作っている神社が増えてきたような気がします。これだけあると、泉鏡花もコレクション対象にしたかもしれません。
さて、湯島天神を離れます。
上野の方に坂を下って行きまして、上野松坂屋の前あたり。有名などら焼き屋の「うさぎや」があります。店の前に掲げられた、うさぎライトは夜には光ります。
ひとつ200円。店頭で買うと、ほんのりあたたかい状態で出てきます。
滑らかで、小麦色に焼かれた生地の中には・・・
ジューシーなアンコ。
東京を代表するどら焼きでもあります。神兎研活動の後は、必ず立ち寄りましょう。うさぎや公式HP