豊川市小坂井の菟足神社に参りました。「うたり」と読み、7世紀後半創建と伝わる古社です(延喜式内社)。
東海道からすぐ近くに坐します。現在は神社の東側に国道1号線として東海道が通っていますが、かつては神社の西側を通っていました。西側の旧東海道側に向かって参道が伸びており、一の鳥居があります。比較的ゆったりとした社地。
境内前の鳥居の周囲には「式内社」の幟がはためいています。
神額。「菟」は「草冠(中央分かれ)」+「免(点付き)」ですが、免の上部が「刀」なっている記載も境内には見られました。
午前中ですので、他の参拝客はいませんでした。敷石が錆びたように赤いですね。祭りの際に奉納される手筒花火のせいでしょうか? さて、境内を進んでいきますと…
正面の社殿に到着…
…
…?
…お分かりいただけただろうか…?
…
…?
…
…
…お分かりいただけただろうか…?
…
…
!?
巨大な何かがこちらを見ていらっしゃる!?
???
畏れながら、社殿に上がらせていただきましょう…
…ゴゴゴゴゴ…
どぉーーーーーん♪
ばぁーーーーーーーーん♪
ちょっと衝撃的な大きさとその姿。張り子の兎の神輿です。
知る限り国内最大の神兎といえるでしょう。
実はこの神輿は、近くにある前芝神明社から奉納されたものらしい。前芝神明社では毎年干支の神輿を作っているとのこと。
社殿の前に戻ると、賽銭箱には「丸に兎」の神紋があり、また小さな兎像が一柱置いてあります。
ちょっと由緒書きを見てみましょう。
祭神 | 菟上足尼命(うなかみすくねのみこと) |
創立 白鳳15年(686)
穂の国(東三河の古名)の国造であられた菟上足尼命は、初め平井の柏木浜に祀られたが、間もなく当地に御遷座になった。(略)
祭神の菟上足尼命は、第8代孝元天皇の末裔である葛城襲津彦命の四世の孫であり、第21代雄略天皇の時に穂国造(ほのくにのみやっこ)となったとされます。穂の国は、ここ豊川のある東三河付近のヤマト政権の地方行政区です。
祭神の「菟上足尼命」が「菟足」に縮められ、「菟」の字の連想から、兎の神紋になっていったのかもしれません。
(ただ普通に縮めると「菟上」になると思いますし、ひょっとして「うたり」の読みが先にあったりしたのかも。「ウタリ」はアイヌ語で「仲間」、多摩の方言で「水田」だそうです。)
ちなみに、4月に行われる「風(かざ)まつり」は、『宇治拾遺物語』や『今昔物語』に記載される古い祭であり、菟上足尼命が着任するときに海上が大きく荒れたにも関わらず無事に到着したという伝承が元にななっているということ(民間伝承がもともとあったとも)。菟上足尼命は、風に強い神とされているようです。
「菟上」を有する神名には、他に「菟上王」と「兎上命」があります。
「菟上王」は、彦坐王の子である大俣王の子。言葉を発することのできない品牟都和気命(ほむつわけのみこと:垂仁天皇の皇子)に付き沿わせて、出雲で出雲大神を拝したところ、“祟り”が解け、皇子は話し始めたといいます。菟神王は後に大神の神宮を造営します。『古事記』のこの伝承、またまとめる機会があると思います。
「兎上王」は、『常陸国風土記』に見え、薩都(茨城県常陸太田)の「土雲(つちくも)」という抵抗勢力を伐ったと伝えられています。
さて、境内には兎があふれています。神兎めぐりをいたしましょう。
神楽殿です。入母屋造り。この鬼瓦の位置に…
神兎がいらっしゃいます。こちらは大棟(おおむね:一番頂上の水平になっている部分)の先端の鬼瓦です。
こちらが降棟(くだりむね:棟から軒先に下っていく部分)の鬼瓦神兎。正面に向かって座っている姿です。ちなみに軒丸瓦(のきまる:軒先の瓦の丸い部分)は12弁菊(なぜかこの写真は13弁)、軒平瓦(のきひら:軒先の瓦の平らな部分)は、兎と相性の良い波紋です。
灯籠にも神兎があります。こちらは、境内正面の大石灯籠。その基部には、波兎があしらわれています。
左右の石灯籠の両方に、同様な波兎文様がありました。
また、社殿向かって右側に八幡社と数柱を合祀した境内社があり、ここの石灯籠にも兎文様が見られます。
右側の石灯籠の火袋の下側。長い耳をたなびかせて波を越えていく神兎。この意匠は結構古そうです。
さらに旧東海道沿いの一の鳥居近くの石灯籠にも、向かい兎の紋が入っていました。
文化元年(1804年)の寄進とあります。火袋の下に左右ともにありますが、右側はだいぶ磨り減ってしまっています。
宝物庫らしき建物。厳重な鉄の扉に・・・
神紋である、丸に兎の鋳物がはめ込まれています。
説明書きを読む限り、重要文化財である大般若経(室町末期の書)が収蔵されているようです。
これはおそらく山車を納めるための庫だと思われるのですが、こちらにもありました。
てっぺんに兎紋があしらわれていました。探して歩くのは楽しいですね。
ちなみに、風まつりでは山車が各町から出るのですが、「小坂井山車」には兎の紋があるのをネットで見つけました(こちらから引用)。
※山車は普段は各町が保存しているんだと思うのですが、とするとこの建物は山車庫ではないかも。
さて、社務所にも寄ってみましょう。御朱印にも兎の印を押してくれます。
兎お守りがたくさん! かなり多様なので、ちょっと並べてみました。
これは悩む・・・。
また、絵馬には、風まつりの風車と兎があしらわれています。良い感じですね。
「撤饌」と呼ばれる砂糖菓子です。神前に供した食物のいわば“お下がり”です。説明書きによれば「うさぎの形の御供物は全国でも菟足神社だけのもの」であるとのこと。
社務所の鬼瓦にも兎があしらわれていました。
この神社には、徐福伝説(中国始皇帝の命を受け、不老長寿の薬を求めて東方諸国をめぐり、日本や朝鮮半島に伝承を残す)や、生贄神事(現在は雀を使うが、かつては猪、そして人身御供もあったと伝わる)があったりと、興味深い点が多数。
また訪れることがありそうです。
名称 | 菟足神社 | 住所 | 愛知県豊川市小坂井町宮脇2 |
(参拝:2014年3月8日)
軒丸瓦の菊花の神紋が十二弁と十三弁のものがあるとのことですが、その理由についてご教示いただければ幸いです。