三河湾を望む蒲郡の霊山砥神山。この山裾にかつて「兎上神社」と呼ばれていた神社があるとのこと。これは訪れてみないとなりません。
「兎」を冠する「兎上神社」ということは、きっとなにか神兎に関連するものがあるに違いない。調査隊の夢は膨らみます。現在は「相楽神社」と名前を変えているとのことです。近くに「さがらの森」というのがあるので、読みは「さがら」で良いのでしょう。
後ほど紹介する砥神山の東北。連なる御堂山の南側にあります。南斜面のみかん畑が広がる集落の山裾に、社叢がこんもりと茂っています。
さて、向かいましょう。
鳥居の先は、社叢に覆われた急な階段になっています。
鳥居脇に説明書がありました(というか、由緒書はこれしかありません・・・)
相楽神社は、兎上(とがみ)神社に、熊野神社と八幡社を合祀した社である。伊弉諾命(イザナギノミコト)他四柱を祭神とし、祭礼は十月の第三土曜日に行われる。
「兎上」と確かにありました。説明書きでは「とがみ」と読んでいますね。ネットでは「とかみ」と読んでることもあります。5柱が祀られているということですが、これだけだとイザナギ以外の祭神が分かりません。熊野神=スサノオ(家都御子神)・イザナギ(速玉男神)・イザナミ(夫須美神)、八幡神=応神天皇・比売神・神功皇后で既に6柱。八幡神を1柱にまとめるとすると、1柱足りません。この1柱がもともと「兎上神社」で祀られていたのでしょうか。
あとで文献に依るしかなさそうです。
階段を上がります。
静かに”閉ざされた”感じのある境内です。
社殿や神楽殿らしき建物の戸が全て閉じられているため、情報が・・・。社殿の扁額には「相楽神社」とあります。
兎関連の神紋が瓦に無いかな?と見てみると・・・軒丸瓦が全て漆喰のようなもので埋められている?? こちらは正面の平側。鬼瓦の位置も取り外されています。大棟に唯一「桐紋(おそらく五三桐紋)」が残されています。
妻側も見てみましたが・・・こちらも埋められている。懸魚上の緑青で覆われている銅の紋も削られているのか何かを被せてあるのかよくわかりません。
ただ、漆喰等の隙間から見えるのは・・・おそらく菊花紋。
境内を巡る中、軒下を覗いたら、これを発見♪
瓦全体は同じ形ですので恐らくこれでしょう。
「十五菊に五星」? 天皇家が使っているのが「十六菊」。自民党とかが「十四菊」。調べても十五弁はあまり見かけません。さらに中央に6つの丸で構成される「六曜星紋」。「十六菊に三星」は天台宗の宗門らしいですが、星は「★(トゲ9本)」として表現されますので、これとも違います。そういえば、浦和の兎神社である調神社の神紋が「十六菊に左巴」でした。
紋の意味も謎ですが、誰が何のために埋めたのかも、謎です。
埋め方がやや雑だったりもしますので、明治に色々”慮って”菊紋を避けたという可能性もあります。
実は、「南朝」伝説がこの地域にあるようです。南北朝時代、後鳥羽上皇の南朝から連なる後村上天皇の説話が三河付近には伝わっています。ロマンを感じます。
が、全ては、謎として残ってしまいました・・・。
神兎成果もありませんでしたし、少しがっかりしながら神社を出ようとすると、鳥居からみかん畑の向こうに三河湾が望めました。菟足神社、菟頭神社もそうでしたが、三河には「謎」が多いです。
さて、さらに謎を広げてしまうのですが・・・
「兎上神社(とがみじんじゃ)」は、霊山「砥神山(とがみやま)」の山裾にあり、山を挟んで反対側には「砥神神社(とかみじんじゃ)」があります。
なんだってーーっ(MMR風)
という感じですが、砥神山の周囲に2つの「とがみ(とかみ)」神社があるわけです。2つの神社の漢字を合わせると「兎神」となります。
なんだってーーっ×2(MMR風に…しつこいか)
こちらが「砥神山」です。三河富士とも呼ばれる美しい山。
山の伝説によれば、橘諸兄卿(たちばなのもろえ:聖武天皇の元で国政を執った。wiki)が10頭の鹿が駆け登るのをみて「あの山の名は?」と訪ねたが、まだ名がついていない山だったため「ではあの山を“十鹿見山”と呼ぶように」と言われた、という。以来「とかみ山」だそうです。異説に、遠くから鹿が見えたので「遠鹿見山」と呼ぶようになったとも。※出典不明
・・・ちょっと兎から離れてきてしまいました・・・(涙)
「砥神神社」に参りました。こちらは「とかみじんじゃ」と読むことの方が多いようです。
社伝には、やはり橘諸兄卿が関わっています。この地に橘諸兄卿が滞在していた折に、砥神山に光る物が現れるのを見た。やがて、夢の中に白髪の老人が現れ、この山は縁故ある霊地であるから、速やかにを祀るように告げたという。橘諸兄卿が神の名を畏れながら尋ねると「登加美の神」であると告げられたため、山嶺に「トカミの神」を祀ったのが始まりと伝わっています。※出典不詳(ネット情報)
砥神山の山頂には磐座(いわくら)があり、また奥宮として砥神神社奥宮が坐します。つまり元々は山が御神体なのかもしれません。こちらは里宮ということになります。
なお三河一宮である「砥鹿神社(とがじんじゃ)」の伝承が砥神神社とよく似ているという情報もあり、あちらの祭神は大己貴命(オオナムチ=オオクニヌシ)ですので、少し神兎に近いかもしれません。
また、以前は砥神神社と多賀神社がそれぞれあり、江戸時代に合祀して、多賀神社の名が消えて、砥神神社が残っているとのこと。
本殿です。
残念ながら兎要素はありませんでした。神紋は「丸に抱き茗荷」のようです。
相楽神社であったような神紋の塗りつぶしはありません。外壁の瓦が「十六菊」でした。
祭神は、伊邪那岐命(イザナギ)、伊邪那美命(イザナミ)、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)の3柱。合祀されているはずの多賀神社の祭神が、イザナギ・イザナミですので、元々は木花咲耶姫命だけだったのでしょうか?木花咲耶姫命は富士山をはじめとする山の神としても知られていますので、「トカミの神」⇒「山の神」⇒「木花咲耶姫」と変化したのかもしれません。
やはり、兎ではないかなぁ・・・。
境内には椎(シイ)の巨木が、ご神木として鎮座していました。
出典が不明なのですが、「砥神神社」は、他に、兎上、兎頭、戸神、十鹿見、遠鹿見といった書き方があるということです。
また蒲郡の伝承に「兎頭神社」が出てくるらしく(豊橋の菟頭神社とは位置が違う)、もう少し文献等当たりますと、神兎に出会えることもあるかもしれません。
調査続行、ということで。
(参拝:2014年3月8日)