住吉大社の卯の縁(大阪府住吉区)


全国2300社ある住吉神社の総本社である「住吉大社」。大阪にはたまに行っているのですが、意外に大阪駅から距離があるので、これまで伺うことが出来ませんでした。新年には大阪一参拝客を集めるこの神社、兎が神使となっていることでも有名です。

住吉大社 参道

今回は環状線から天王寺で乗り換えて、路面電車の阪堺電車で向かいました。住吉鳥居前で降りると、目の前はもう参道です。

住吉大社 灯籠

住吉大社でまず圧倒されるのが、この燈籠群。他であまり見ない角ばった形と巨大さ。全国の商人や廻船問屋が寄進しました。祀られている住吉三神は海の神。したがって海関連の業種が多いです。600基以上あるとのこと。

住吉大社 太鼓橋

参道を進むと現れる太鼓橋。渡るというより登るという方があっているほど、急です。これは淀君が寄進したものだそうです。

そして太鼓橋を渡ると・・・

住吉大社 手水舎

左手に手水舎があります。覗いてみますと・・・

住吉大社 手水舎 兎

口から清めの水を流す神兎が一柱。
球体にできるだけ近づこうとして身体を丸めた、まさに玉兎。

住吉大社 手水舎 兎

ところで、なぜ兎か? 説明書がありました。

住吉大社と兎
兎(卯)は当社の御鎮座(創建)が神功皇后摂政十一年(211)辛卯年の卯月の卯日であるご縁により奉納されたものです

神に相対する時には、かつては身体全てを水で清めるみそぎを行っていました。これを簡略化し、手と口だけを清める手水舎。しかし、その禊の精神は受け継がれていなければなりません。
神兎の力をかりて、禊をいたしましょう。

さて、本殿へと向かいます。

住吉大社 住吉鳥居(角鳥居)

柱が四角の珍しい鳥居です。「角鳥居」あるいは「住吉鳥居」とも呼ばれます。

住吉大社 本殿配置

本殿は4つの本宮からなります。
各々4柱の神が鎮まります。由緒書をみてみましょう。

住吉大社 由緒書

第一本宮 底筒男命(そこつつのおのみこと)
第二本宮 中筒男命(なかつつのおのみこと)
第三本宮 表筒男命(うわつつのおのみこと)
第四本宮 息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)神功皇后

御由緒
底筒男命 中筒男命 表筒男命の三神を総称して住吉大神と申し上げます 住吉大神の「吾が和魂(にぎみたま)をば宜しく大津渟中倉長狭に居くべし 便ち因りて往来ふ船を看む」との御神託により 神功皇后がこの地に御鎮祭になりましたのが 皇后の摂政十一年辛卯の歳(西暦二一一年)と伝えられています

神功皇后は、第14代仲哀天皇の皇后です。熊襲(九州のヤマト朝廷の対抗勢力)討伐のために仲哀天皇と神功皇后は筑紫に赴いていましたが、神功皇后に住吉大神が神懸かって「西海の宝の国(新羅のこと)」を攻めるように告げます。これに従わず神を非難した仲哀天皇は、このすぐ後に崩じ、神功皇后はお腹に子供を宿したまま(後の応神天皇です)、新羅を攻め降伏させ、高句麗・百済も従わせ(三韓征伐)帰国したと伝えられます。

戦前は、日本史上の傑人として各地で祀られていましたが、戦後は侵略の象徴として(実際、明治の朝鮮半島進出のベースとなった”征韓論”の論拠は、この“三韓征伐”でした)、表立っては語られなくなっています。

すこしきな臭いですね。記紀におけるこの時代の記述は、ヤマト側にしても結構きな臭い部分がありますが、ここでは触れません。

神兎研究会は、「卯年卯月卯日」の縁という“だけ”で、全てを達観したかのように、この神域に坐す神兎を、ひたすら愛したいと思います。

そもそもなぜ「卯」を吉日としているのか?ということについて、大神神社の時も疑問が残っておりましたが、陰陽五行説やそれより古い十干十二支の思想と、それらの日本への伝来タイミングを改めて考察する必要がありそうです。

4つの本宮を詣ります。一番手前に第三本宮があるのですが、どうやら一番奥の第一本宮から詣るのが正しいようです。

住吉大社 本殿 第一本宮住吉大社 本殿 第二本宮

第一本宮(底筒男命)と第二本宮(中筒男命)です。

住吉大社 本殿 第三本宮住吉大社 本殿 第四本宮

そして、第三本宮(表筒男命)と第四本宮(神功皇后)です。第一から第三までが縦に並び、第三の横に第四がある配置で、珍しいですね。第四本宮だけ、千木が女神を示す水平切りになっています。

そして第四本宮の手前に・・・

住吉大社 本殿脇 なで兎

ヒスイの神兎が鎮座しています。
手水舎と同じように“玉兎”です。素材が糸魚川産のヒスイであるとのこと。つややかです。

住吉大社 本殿脇 なで兎

後ろからも激写。

住吉大社 本殿脇 なで兎 由緒書

「五体を撫でて無病息災を祈願してください」とありますので、撫でます。なでなで。なでなで。なでなで・・・
奉納は平成二十三年卯歳元旦とありました。新しく神兎スポットが増えるのは本当に嬉しいです。

さて、一度本殿を離れます。
本殿を北西に出て、重要文化財の石舞台の横を抜けると、境内北西の端に「卯の花苑」があります。

住吉大社 卯の花苑

「卯の花苑」
住吉大社がこの地に鎮座されたのは、遠く神宮皇后摂政十一年卯の歳卯の月卯の日と伝え、五月最初の卯の日に行われる。「卯の葉神事」は、住吉神に卯の葉の玉串を捧げ、神威の更新を祈る重要な神事である。
卯の花はユキノシタ科のウツギという落葉低木で、品種が多く、日当たりのよい山野に自生し、かつては住吉境内にも群生していたというが、今はその多くが失われている。
これにより、住吉名勝保存会では大阪市の協力により、北海道南部から九州までのウツギの自生地を調査し、築山の土壌を改良し、山の形を整えて、現存する日本のほぼ全品種を移植し、昭和六十一年、ここに住吉大社ゆかりの「卯の花苑」を造成し、後鳥羽院皇子光台院親王の歌碑を併せて建立した。
この卯の花は、「浅沢の社若」「車返しの櫻」とともに、古代・中世以来の歴史と伝統を伝える住吉の三名花として、永くこの地の季節を彩り続けることであろう。
(財)住吉名勝保存会

つまり、神使の兎と同様に御鎮座の「卯」つながりです。「卯之葉神事」は「卯の葉(うつぎ)」を使って五月の上卯日に行う神事で、卯の葉を玉串として捧げ、うつぎの小枝のかんざしをつけた神官や“卯の葉女”が舞を奉じます。

住吉大社 卯の花苑

卯の花苑はこの季節だけ公開されているようです。

住吉大社 卯の花苑

サラサウツギが満開でした。春っぽい香りが漂っています。

住吉大社 卯の花苑

サラサウツギは小さい花が八重に咲き、外側が少し薄紫色を帯びています。可憐ですね。

住吉大社 卯の花苑 歌碑

苑の入り口には、後鳥羽院の皇子である光台院親王の歌が刻まれています。

すみよしの ゆふしでなびく 松風に
うらなみしろく かくるうのはな

「住吉の 木綿紙垂なびく 松風に 浦波白く 隠る卯の花」
住吉大社はかつては海が近かったと言います。おそらく松林があったのでしょう。住吉の神に奉じる紙垂しでの白さと、松風の清らかさ、海の波の白さ、そして、隠れるように咲く卯の花。白の微妙な色調の違いが伝わってくる良い歌です。

住吉大社 卯の花苑 歌碑 兎

歌碑の上には、兎が一柱のっています。ちょっと割れてしまっているのですが、「卯」つながりの良い趣向ですね。

苑内を巡ってみましょう。蚊が多いのはご愛嬌。

住吉大社 卯の花苑住吉大社 卯の花苑

多分、バイカウツギ(梅花空木)とニシキウツギ(錦空木)

住吉大社 卯の花苑住吉大社 卯の花苑

これもバイカウツギかな?花弁が違いますが。 右はハコネウツギ(箱根空木:と、書いてあったが違うかも)。

これからは神兎探訪の際には、卯の花も注意してみましょう。

さてさて。
住吉大社には多くの燈籠がありますが、いくつかの燈籠に兎が入っているようです。

sumiyoshi0301

これは、境内北側の端、楠クン社(クンは「王」+「君」)の北側にある燈籠。火袋の下に干支の兎が跳ねています。隣に歌碑があるのですが、達筆すぎて全然読めません。

住吉大社 灯籠 干支兎

燈籠は数多いですが、干支が入った燈籠は少ないようです。

また今回見逃してしまったのですが、南西の端の方の阪堺電車の住吉停留所を降りた近くに、「越中締綿廻船中」寄進の燈籠があるらしく(こちらから引用してますm(_ _)m)、火袋の下には兎が描かれているようです。

住吉大社 燈籠 兎

奉納は安政3年(1856)。越中の綿商人達は、やはり「卯」つながりがあったのでしょうか。

住吉大社 授与所

本殿近くの授与所には、神兎グッズがあふれています。

住吉大社 兎朱印帳

御朱印帳は秀逸。太鼓橋の前に遊ぶ三柱の神兎。1冊目としては、調神社、宇治神社、岡崎神社と並ぶオススメ品です。

さらにお守り各種。

住吉大社 お守り住吉大社 お守り

住吉大社 お守り住吉大社 お守り

住吉大社 お守り住吉大社 お守り

住吉大社 うさぎみくじまた「うさぎみくじ」は、郷土玩具である住吉人形です。群れはいいですね。

住吉大社といえば、凶が多いのではないか?という話が昔からありまして、20年前に調べたデータが紹介されていました(島武史『日本おみくじ紀行』(日本経済新聞社・1995年)より)。当時はクジの種類として凶の字が入るのが30%以上であり、参拝者数が圧倒的に多いため、凶が出た数も最も多いのでは?という推定をしています。現在はややマイルドになっているようですが、このSNS全盛の世の中ですと、凶が出ると、吉だった時より「つぶやきやすい」ため、凶が多く出ているように感じるかもしれません。

住吉大社 大神輿さて、住吉大社のHPを見ていて気づいたのですが、現在修復中の「大神輿」に神兎の彫刻があるようです。下に、ウェブ上より集めてきた拡大映像を並べてみます。微妙に形が違うのですが(前後?)波の間を跳ねる神兎が見えてきます。

大神輿は、住吉大社文書によれば明治14年奉納、御神鏡には明治36年修繕奉納と記載されているとのこと。実際に舁かれる神輿の中では日本最重量級(約2.5トン)ですが、老朽化のため住吉祭の際に、瑞垣内に並ぶだけになっていました。

住吉大社 大神輿 兎

これを復活させるための修繕奉賛の募集が行われていました。こちらから、2015年6月いっぱいまで寄進を受け付けています。

復活が楽しみです。

(参拝:2015年5月24日)


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