高瀬神社で見たすばらしい彫刻を作った町、井波。高瀬神社から車で少しいったところにあります。足を伸ばしてまいりました。
町の入り口には、木彫で飾った櫓看板。
井波には、明徳元年(1390)に建立された瑞泉寺があります。一向一揆衆をとりまとめて戦国時代には170の寺院を支配していましたが、江戸に入り宝暦12年(1763)に火災で焼失。再建のために京都本願寺の御用彫刻士・前川三四郎が井波に派遣され、4名の地元大工にその技を伝えたことで、井波での彫刻が始まりまったとのことです。
瑞泉寺から続く石畳の八日町通り。左右には井波彫刻の工房が軒を連ねます。また、様々な彫刻がそこかしこにあるのも魅力。
こちらは彫刻工房。職人さん達がノミを振るっている姿が見えます。
街灯や電柱にも木彫の装飾があったり、喫茶店には、お茶を出す兎と蛙が彫られています。かわいい。
バス停の表示もこんな感じ。干支があしらわれているようで、当然兎もありました。
こちらのバス停も兎。木彫の使い方が贅沢です。
お饅頭屋さんの看板にも兎。こちらの田舎まんじゅう美味しいです。
どうやらこちらは選挙事務所? こちらの看板も木彫で、兎です。綿貫さんと言えば幹事長、大臣経験者ですが、出身は井波の八幡宮の神職とのこと。兎となにか関係あるんでしょうか(1927年生まれで干支が卯だからかな?)
八日町通りの先に、瑞泉寺の入り口があります。強固な石垣。この石垣自体は防火の役目として江戸時代(1821年)に作られたとのこと。
瑞泉寺は浄土真宗(一向宗)の北陸の拠点でした。先に述べたように、一向一揆の拠点として戦国武将達と渡りあっており、数回の大火での焼失の際も、大きく再建をしてきました。寺の財政が盤石であったことを伺えます。
石垣の内側に見えるのは巨大な山門です。1763年に山門はじめ瑞泉寺は火災で焼けましたが、その再建に本願寺から使わされた京都の大工が技術を伝え、この山門を作り上げました。門にある龍の彫刻は見事です。
山門を入った正面が本殿です。こちらは1885再建(16世紀の本殿は残念ながらまた焼失しました)。伺った際には回収の工事が入っていましたが、かなり迫力のある大きさ。
本殿右隣にあるのが太子堂です。本殿と並んで巨大な建物。こちらは1918年再建。
これほど大きいと蟇股と呼んでよいのか分かりませんが、軒下の一番高い部分に神獣などの彫刻が施されています。
向かって左手に神兎の彫刻がありました。2柱の神兎が波に跳ねています。体のしなやかな表現、手足の繊細さに技術を感じます。また波濤の先もいわゆるレリーフのような平面でなく、立体的に掘り出されています。
せっかくなので、井波の彫刻による、他の神獣も。
どれも精緻さがすごい。そして更にすごいのが、、
こちらの梁に施された彫刻。雲と龍が絡み合ったような意匠と彫り込みは圧巻でした。
井波の彫刻がされている神兎、他の地域にもあるでしょうか。波の形など、今後も注意して見たいと思います。
さて、今回の探訪は一区切りです。富山駅まで戻りました。
富山といえば、「富山ブラックラーメン」。創業と言われる『大喜』に立寄ります。
この真っ黒な醤油スープ。味は濃いですが、脂が少ないとの、ストレート麺なので意外とすっきりと食べられます。ガツンと味のあるチャーシューと、太いメンマ、ざく切りネギが、それぞれ主張をしながらちゃんとまとまっている。
北陸の秘めたパワーをつくづく感じた今回。まだ訪れなければならないスポットがありますので、また来たいと思います。