東北の都である仙台へやってきました。季節は七夕。「杜の都」とも呼ばれるだけあって、緑が濃いです。この地にも面白そうな神兎の気配がいたします。
青葉城から市街を見渡します。かの伊達政宗が城を構えて町を開く際に、武家から町人に至るまで広めの区画割りを行い、果樹や生活に役に立つ木々を植えていきました。周囲の山々の緑とも溶け合い、「杜」と表現されるような緑の豊かな街へと発展したらしいです。実は木々は太平洋戦争でかなり焼けてしまい、今は街路などを中心に緑が広がります。
そしておなじみ伊達政宗像。兜に三日月を掲げた勇姿。生まれる時代がもう少し早ければ、日本の歴史は変わっていたとも言われる武将です。確かに良く知られた武将の生年を並べると、織田信長1534年、豊臣秀吉1537年、徳川家康1543年、武田信玄1521年、上杉謙信1530年に対して、伊達政宗は1567年生まれで、親子くらいに年が離れています。
そして、ちなみに伊達政宗は「卯年」です。よく言われる性格は、愛嬌があって目上に愛され、調和を大事にするタイプらしい。余談ながら先にあげた武将達は、織田信長:午年、豊臣秀吉:酉年(申年とも)、徳川家康:寅年、武田信玄:巳年、上杉謙信:寅年。あ、真田幸村が政宗と同い年で卯年ですね。
この地方では、生まれの干支によって決まる「卦体神」という守り神があります。方言読みで「けでがみさん」。他の地方では「守り本尊」とも呼ばれ、12の干支を8つの方角に分けて、それぞれを守護する神仏を定めます。
卯年の卦体神は「文殊菩薩」となります。
ということで、兎(卯)の守護神、文殊菩薩のもとへ向います。
鷲巣山文殊堂の神兎達
中心地から西側へ。仙台中心を流れる広瀬川の少し上流へ向かいます。
あれ?西側?卯の方角なので東側では?なのですが、仙台の卦体神自身は方角には関係ないようです。いわゆる方向の守護として各神仏寺社を配置したわけではなく、もともとあった寺社の本尊に、卦体神の考え方を当てはめたということなのでしょう。
仙台の地は中心部を離れると、すぐ緑が濃くなってまいります。
『鷲巣山 文殊堂(じゅそうざん もんじゅどう)』の参道の下の階段です。左側の石碑には、梵字で「マン」つまり、文殊菩薩が刻まれています。この急な階段は108段あるらしい。煩悩を落としながら登ってください(ちなみに、私は車で登ったところの駐車場につけました、ごめんなさい←煩悩満載)
参道です。手前には三十三の観音様がずらりと並んでいます。高い木々囲まれて、夏の朝の日差しが眩しく差し込みます。
「山門」というべきか、同じ仙台の大崎八幡宮(後述)にならって「長床」と呼ぶべきか。内と外の境目の独特な建物です。
東北の狛犬は笑っているのか、愛嬌あるなー、とか思いながら、“長床”を抜けようとすると、その右手にいきなり、、
どーーーんっ!
圧倒的に巨大な張り子の兎!
かわいいポップな意匠なのにこの大きさ!存在感!何かに挑戦した結果なのでしょうか。守り本尊の寺社には、その干支の生まれの人が干支にちなんだものを奉納することはよくあるようです。こちらの奉納は『(株)木村屋』さんにより行われているらしいですが、どのような業態の方か気になります。
大兎張り子を横から。厚みはこんな感じです。
長床を後ろから。改めて考えてみると、普通の山門だと、こういう奉納品を展示する場所がないですね。巨大な兎といえば、兎足神社を思い出しますが、あちらは本殿に入っていました。
長床をくぐると境内の中心部です。もう一段上がった所に本堂。その登る階段の手前に、、
兎像がありました。兎像?
、、こちらもかなり独特。
兎というには面長で、お顔にシワのような線を彫り込んであるため、少し歳をとった人の顔にも見えます。
正面から。鼻筋がとおってますね。眉毛らしき線もあります。少し微笑んでいるようにみえて、愛嬌があります。
後ろから。尻尾は控えめ。
伏せたスフィンクスも思わせる風貌です。
あくまでも、想像なのですが、ひょっとしたら奉納された方の顔に似せたのかな?とも思いました。
慶長8年癸卯(1603)に,伊達政宗の家臣であった嶺八兵衛が、政宗より鷲巣山一帯を拝領し、開山。卯年ですね。文殊菩薩像は八兵衛が賢淵(文殊堂の下の川)で見つけたという言い伝えもあり、伝道教師(最澄)作とも言われています。八兵衛は修験者であったらしいです。
文殊菩薩は「知恵の菩薩」です。「三人よれば文殊の知恵」ということわざもありますが、その鋭い知恵により迷いを断ち切り悟りへと至らせて頂ける仏様。右手に持っている利剣は、その知恵を象徴しています。
兎の絵馬が奉納されています。文殊菩薩ということで学業に関する願いも多いですね。
兎の絵の奉納がありました。卯年生まれの方々からのものでしょうか。
さて、少し下がって本堂の屋根を見上げると・・
むむ?神兎らしきものが? 逆立ちして・・いる??
近くに行って背伸びしてみて・・・全部見えない・・
右に回り込んでみると・・・足しか見えない・・
左に回り込んでみても・・・やはり足しかみえない・・・「犬神家の一族」か・・・
結局、望遠など駆使しまして・・
神兎の全体を捉えることができました。左右に一柱ずつ。
身体を反らせて逆立ちしています。瓦の波に、後ろ足が天に向って真っすぐ伸びて、まるでシンクロナイズドスイミングではないですか。
波ウサギ
文殊堂の屋根の上には逆立ちしたウサギの焼き物が一対あります。
波うさぎと呼ばれ、波に見立てた瓦を渡るウサギです。ウサギは月と関係が深く、中国の陰陽五行説では、火は太陽を、月は水を表します。そこからウサギは水とゆかりのある動物とされ、屋根にあげて火ぶせを願いました。
ウサギが逆立ちしている姿に「うだつ」を重ね、「うだつが上がる」の願いが込められているとの説もあります。(文殊堂 説明書きより)説明書きには、他の波兎の例が掲載されていまして、「仙台・芭蕉の辻 豪商の屋根(仙台市歴史民俗資料館)」、「宮城県知事公館正門(旧仙台城門の復元)」や「奈良・法隆寺」のそれぞれの波兎が紹介されていました。もちろんこの神兎研究会でもあちらこちらの瓦を見てまいりましたが、ここまでの逆立ち直立は、こちらが一番ではと思います。
朝だったからか、まだ寺務所は空いていませんでしたが、お守りを見ることができました。学業成就などに混ざって・・
珍しい逆立ち波兎のお守りです。是非求めたかったのですが、また次の機会に。
卯の卦体神の場は、神兎が呼び合って集う場所ですね。
さて、、
国宝 大崎八幡宮
せっかく仙台まで来ましたので、卦体神さまをもう一箇所お邪魔させてください。
仙台六十二万石の総鎮守『大崎八幡宮』。慶長12(1607)年、伊達政宗によって創建されました。ちょうど七夕まつりも近く、七夕の飾りがされています。
伊達家が信仰した八幡神。伊達家初代の伊達朝宗が、文治5年(1189)奥州藤原氏との奥州合戦で功績をあげ、源頼朝から陸奥国伊達郡を得て、伊達姓を名乗ります。そのときに武家の信仰の中心であった鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し、「鶴」を「亀」へ変えた「亀岡八幡宮」(仙台市)を建立しています。ただ大崎八幡宮の方は、坂上田村麻呂が奥州征討の際に陸奥国(岩手県)に勧請したものが源流となっており、それぞれ伊達家とともに移動しながら、現在“再会”しているようです。
一の鳥居をくぐって、階段を登ります。
さらにまっすぐに続く参道。
やがて「長床」と呼ばれる門に到着いたしました。
長床には猪の絵が奉納されていました。「八幡神」は本地仏を阿弥陀如来とし、卦体神では、戌と亥の担当です。
そしてその先には本殿があります。
桃山時代に建立された権現造りの傑作。『国宝』です!黒漆の柱と梁に、金の装飾に極彩色の文様、生き生きとした彫刻達。桃山の時代が持つ絢爛豪華な雰囲気、そして、伊達家の「伊達」が見事に表されています。
後方本殿も見事。東北を代表する建築です。眼福。
当然、仙台といえば、、
仙台と言えば、もちろん牛タン。発祥の店と言われる『味太助』へやってまいりました。
GHQ統治下において、余り物を利用したと言われる牛タンと牛テールスープ。食料難の折だったための麦飯と、主の佐野啓四郎氏の故郷山形の「味噌南蛮(青唐辛子の味噌漬け)」。奇跡の黄金組み合わせです。炭火の網でひょいひょいと牛タンが焼き上がります。
牛タン到着!
牛タンを評価する指標で重要なのが、味や柔らかさもさることながら、「味の持続力」ということらしい。
なるほど!
うまい!!
東京にあるチェーン店とは格が違いました。
抜群の旨味の持続で、麦飯が進みます。東北は奥深く、まだ行ったことがない場所が多数。神兎探訪を続けたいと思います。
(参拝:2019年8月)