大阪出張の隙間をぬって、神兎研活動ですよー。
1時間ちょいしか空き時間が無かったのだけれど、神兎様のためならエンヤコラ。
新大阪駅から3駅。北大阪急行の緑地公園下車。駅からテクテクと遊歩道を10分くらい歩くと公園にたどり着きました。
服部緑地公園。
金曜日の午後。あまり人がいません。広々していていいですね。
この付近は千里丘陵の南の端です。公園から神社に向かって坂道を降りていく形になります。地名は「若竹」。千里丘陵は万博誘致前は竹が生い茂る土地だったそうで、その名残りの地名でしょうか。立派な屋敷が立ち並んでいました。
大きな一本松がある参道です。こちらが今回の目的地の「若宮住吉神社」です。
高台にあるため、階段を登っていく形になります。鳥居が2つ。境内からは昔は大阪湾が見えたと思います。
天平年間(8世紀前半)に、行基が石連寺をまずこの場所に興しました。しかし、記録によると「平清盛ニ破却セラレテ終ニ廃寺トナレリトイフ《小曽根村誌》」とあり、清盛により廃寺とされてしまい、その跡地付近に、平家の信仰した、厳島神社ができたと、伝えられています。その後、平家から源氏へ権力が移り、源氏の守り神である正八幡宮が創祀され、元からあった厳島神社を習合します。
さらに戦国時代、信長、秀吉により翻弄されたこの地域は、やがて土着の住吉信仰が高まり、八幡宮の誉田別命の祖神である住吉大神を祀る神社として鎮座することになったそうです《若宮住吉神社HPより》。
大坂夏の陣戦火の中、住吉大社創祀の故実に合わせ、卯年、卯月、卯日に忠実に創祀されたとのこと。
畿内の歴史を見続けてきた地なのです。
こちらがニの鳥居。
左手に向かうと社務所があります。階段を上がりまして・・・。
若宮住吉神社拝殿です。
ちょうど七五三でしたが、平日の午後早めですので、参拝者はそれほどいませんでした。
【本殿】住吉大神 | 底筒男神(そこつつのおのかみ) 中筒男神(なかつつのおのかみ) 表筒男神(うわつつのおのかみ) 神功皇后(じんぐうこうごう) |
【摂社】 稲荷神社 | 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) |
【末社】 八幡神社(旧正八幡宮) | 誉田別命(ほんだわけのみこと) |
【末社】 水分神社(旧厳島神社) | 罔象女神(みずはのめのかみ) |
薬祖社 | 少彦名命(すくなひこなのみこと) |
これまでの歴史を反映する祭神です。
住吉の3神は海の神。大阪湾を望むこの神社にはふさわしい神です。
また、神功皇后と誉田別命(応神天皇)が親子だからということもあり、親子で神がいたという伝承が多く残っているとのこと。そのせいか、珍しい2対の狛犬がいます。
さて、多くの住吉神社がそうであるように、ここにも神使である兎の瓦があるとのこと。
本社である住吉大社で、神功皇后が大神を祀ったのが、神功皇后摂政十一年(211)、辛卯年の卯月の上の卯日だったという所以で、神使は兎とされています。
ネットで珍しい兎の瓦があると調べてあったので・・・境内をウロウロ・・・・ウロウロ・・・ウロ・・ウロ・・・ない?
屋根の上等を見て周るも、兎様はいらっしゃいません。あれ?
HPをもう一度見てみると、どうやら保管されているらしい。しまった・・。
ダメもとで社務所の戸を叩いてみました。ご神職が突然訪れた私を丁寧に対応してくれました。
私「兎の瓦を見せていただくことは出来るでしょうか?」
ご神職「前もってご連絡頂けていたら出しておけるんですが、今日は七五三もあって、すぐ出せない奥にしまっておりまして・・」
私「(がーん)」
ご神職「東京から見にいらっしゃる方もいるんですよ・・」
私「(私も東京から・・(;_;))」
嘆いてもしょうがないですね。仕事の間だったので、私も時間が無く、今回は諦めです。
ご神職「案内がありますので、こちらをどうぞ・・」
ということで、頂きましたご由緒のパンフレット。
こんな兎様がこちらには保存してあるとのこと。
中央は「鬼瓦」ともとれる口を大きく開けた兎像に見えます。ダイナミックで立体的な波に乗っています。これは実に珍しい。
他2つは見返り跳ね兎ですね。
機会を見つけてまた訪れたいと思います(先に電話して(;_;))。