名古屋めしのひとつ「みそかつ」の有名店「矢場とん」。本店は大須の矢場町にあります。このすぐ近くに神兎が集い、さらに御朱印ガールが集うスポットがあると聞き、やってまいりました。
化粧廻しをした豚があしらわれた「矢場とん」のビルを横目に、ちょっと路地を入ります。
雑居ビルや飲食店に取り囲まれるようにして鎮座するのが、こちら三輪神社です。それほど大きい社地ではありませんが、街の中にぽっかりと空の抜けを作り出しています。参拝が夏の盛りの朝ということもあり、起きたてのセミの声が響いていました。
特徴的なのがこの鳥居。明神鳥居の左右脇に小さな鳥居が組み合わされています。「三ツ鳥居」もしくは「三輪鳥居」と呼ばれ、奈良の大神神社のものが有名(神兎研でも訪れております(こちら))それもそのはず、こちら三輪神社は、大神神社から勧請されて来た社なのです。これは後述。
後ろ側から見ると、鳥居の構造がわかりやすい。この形は、先述の大神神社の他、秩父の三峯神社でも見たことがあります。九州では「殷の鳥居」と呼ばれる同型のものが、佐賀県嬉野市の八天神社、福岡県吉富町の古表神社にあるとのこと。中国の古代王朝である殷の門には同じような形態を見ることができます。鳥居のより古い形なのでしょうか。
そもそも「鳥居」とはなんぞや?という話になってきます。「鳥」がいないのに「鳥が居る」とは。
吉野ケ里遺跡などの弥生遺跡、あるいは古墳からは、木製の鳥が発掘されており、柱の先や、門の上などにつけたと考えられています。朝鮮半島南部や済州島では「蘇塗(ソト・ソッテ)」あるいは「鳥杆・鳥竿(ソッテ)」とよばれる、柱の先に鳥をつけたものが村の境界に置かれていました。中国東北部では索莫(ソモ)とも呼ばれているらしい。また、タイ・ミャンマーなどの山岳部に住むミャオ族の村では、その中心に鳥のとまった柱が建てられているといいます。鳥には、祖霊信仰、村の守り神、稲の豊穣をもたらす鳥への信仰など、様々な要素が重なってきます(萩原秀三郎『稲と鳥と太陽の道』(大修館書店)の調査・考察が面白いです)
現在の鳥居は、神域と人界との境目という意味合いだけが強いですが、かつての他の祈りを受け継いで秘めているのかもしれません。神兎研として追いかけている「兎」と同様に、鳥も一種の「トーテム」です。さらに追っていきたいですね。
で、拝殿に向き合いますが・・・修繕中・・・。拝殿・本殿の外観がシートに覆われてしまっていました。
シートの内側へ入りまして、参拝いたします。
祭神 | 大物主大神(大国主大神・大黒様) 徳川義宜公(尾張十六代藩主) |
元亀年間(1570年)奈良桜井三輪町から小林城(現在の矢場町交差点辺り)に移った城主、牧若狭守長清が生まれ故郷の三輪山に鎮まります大物主大神(大国主大神)を祭ったと伝えられています。
江戸時代には尾張八代藩主徳川宗勝公を始め歴代の藩主の崇敬篤く明治時代に尾張十六代藩主徳川義宜公を合祀しています。
(境内由緒書より)
三ツ鳥居のあった奈良の大神神社より、大物主大神を勧請してきたとあります。牧長清は戦国時代前の尾張の守護である斯波氏(織田信長台頭後は津川氏と改姓)から出ており、信長の妹(おとくの方)を妻とし、この地域を治めました。もともと尾張の家筋ですが、生まれ故郷が奈良と言われるのはなんでなんでしょうね? 長清の母は、信長に滅ぼされた織田大和守家の分家だったらしいですが、その縁でしょうか。
神紋は「菊の花に葉」・・・だと思います。右側の部分がちょっと不明。大神神社の神紋である杉の木にも似ているような気もします。
神額の下には丹塗の矢があります。これは後ほど。
さて、拝殿から戻って右脇には・・・
「福兎」とされている神兎が一柱。ふっくらとした丸みと笑顔。かわいいです。脇の立て札には「幸せのなでうさぎ」とあります。境内の由緒書によれば、
古くから三輪の大物主大神様は、出雲の大国主大神様の「幸魂」(幸福をもたらす不思議な力を持つ魂)と云われ御一体として信仰されてきました。
特に国造りの神様として縁結び・家内安全・交通安全・厄除など世の中に幸福をもたらす守護神として崇拝されています。
大国主様(大黒様)といえば「因幡の白兎」の神話で有名です。
大神様のお使いでもあるうさぎと世の中に幸福をもたらす大神様のご神徳の象徴として「幸せのなでうさぎ」を造立しました。
願いを込めて撫でることにより幸せが授かりますよう祈念しております。
とありました。建立日は平成25年8月。
奈良の大神神社にも「なで兎」がありました。かつて一の鳥居付近の灯籠の東側(卯の方向)に置かれていたものであり、神縁の日が卯の日という由来。
こちら三輪神社では、大国主命のご縁。因幡の白兎つながりでの兎です。
多くの人に祈られ撫でられ、少しずつ黒光りしてきています。やがて貫禄につながっていくのでしょう。
別の角度から。
後ろからも。丸い尾が愛らしいです。
拝殿と本殿はシートで覆われてしまっていますが、本殿右奥の御神木は見ることができました。樹齢450年と言われるクスノキです。丹塗の矢が刺さって、幹に飲み込まれています。
古事記では、勢夜陀多良比売という美人を気に入った大物主神は、丹塗の矢に姿を変えて、ヒメが用を足しにくるところを見計らって川の上流から流れていき、下からホト(女陰)を突きます。こうして生まれた子が、富登多多良伊須須岐比売命で、後に名前を変え、比売多多良伊須気余理比売として、神武天皇の后となりました。
・・・まぁ、神様ですし、自由ですし。
・・・ということで、大物主神の神話にちなみ、こちらは縁結びの木となっております。
木からつながった紐に、赤い糸と五円(御縁)を結ぶことで、縁結びを願います。
偶然かもしれませんが、もう一つ矢に関する場所がありました。由緒書によれば、
尾張徳川 矢場跡
寛文8年(1668)尾張徳川家が三輪神社境域に京都の蓮華王院(三十三間堂)で威信をかけて競った通し矢の修練場(三十三間堂を模した長廊)矢場を創建し 文化四年(1807)御払いになり星野勘左衛門領となりました。
この界隈を「矢場町」と呼ぶのもここに矢場があったことに由来します。
星野勘左衛門(星野茂則)は尾張徳川家の藩士。「大矢数」という種目で、一昼夜に三十三間堂の長さをどれだけ射通せるかを競ったもの。特に紀州と競り合っていたらしく、寛文2年、一旦は天下一になったもの、寛文8年記録を更新されます。この頃矢場が造営されています。そして、寛文9年、10542射を射て8000本を射通すという記録を残し優勝。パチパチパチ。
その縁もあってか、尾張の徳川家からの崇敬は篤かったようです。
三ツ鳥居脇の狛犬(向かって左)の基壇には、尾張徳川の葵の御紋が刻まれています。
境内の参道両脇にあるこれは、なんでしょね? 徳川家とあります・・・茅の輪くぐりや幟を建てるときの支えでしょうか。
さて、境内は先述の「福兎」の他にも兎で溢れています。
絵馬は兎型。通常、馬などが描かれている表側に、自分で兎の顔を書き込むという珍しい趣向です。
自由な顔が奉納されています。こういう趣向、良いですね。
さらに、これでもかと隠れている兎の置物など。草むらの中に隠れていたりします。
おそらく神兎探訪の開始以来、最多。ありがたや。
そして、近年、こちらに参拝客が押し寄せている理由がこちらの社務所にあります。
入り口に人だかり。そして、実は拝殿前へと行列が続いています。20人ほどが並んでいらっしゃいました。ちなみに来訪は土曜日の朝9時少し過ぎです。
皆さんのお目当てが、こちらで頂ける「御朱印」。
9時の受付開始前から皆さんいらしているようです。
こちらの御朱印の特徴。
いくつかから選べるということ(いくつも頂いてもOK)。カラフルであること。カワイイこと。そして月替りのものがあるということ。さらに限定のものがあるということ。
この日は8~9種類ほどを受けることができたようです。
こちらの七夕限定の御朱印は2面を使って織姫と彦星、笹を持って跳ねる兎が描かれています。ポップでアート。
え?いつのまに御朱印ってこんなに進化したのでしょうか。数年前までは、質実剛健な墨書きの神名と神印というものしかなかったと記憶しております。あっても神紋や神使が押されていた程度・・・。
実はここ数年、御朱印集めがブームらしいのです。
基本的には御朱印は、神や仏の分身。参拝した神仏のお守りを自分の朱印帳へ記して頂くというものです。お遍路さんを始めとする霊場巡りをするイメージですね。
それが広がり、ややスタンプ帳的な方向性も生まれてきました。それでも、どちらかというと一部の寺社好きや散歩好きの団塊世代が中心のものでした。社務所に行列ができるということは、ほとんどありません。
ですが、最近はこれに加わって20代、30代の若い女子が集め始めているようです。
一時期のパワースポットブームとも一連になってきており、プチ社会現象となっている感があります。
彼女たちを「御朱印ガール」と呼ぶらしいです。
御朱印帳が可愛いものが選べるようになったのもブームを後押ししているんでしょうね。「福兎」が入ったものを何種類か選ぶことできます。
またこちらは限定の御朱印帳。現在修復中の屋根の寄付を5000円以上頂いた方へ配布しているとのこと。むむむむむ・・・欲しい・・・。
ちょうど4月に中京テレビで「御朱印ガール」の特集がされたようで、こちらの三輪神社も紹介されていました。
宮司の平尾さんによれば、これまで参拝者の減少により雨漏りする屋根を直すことができずにいたようです。ですが、御朱印を通じて参拝者が集まり、屋根修繕の目処がたったとのこと。「寄付を集めるのはとても大変です、今の時代。みなさんの気持ちが一つになって屋根がきれいになる。とても感謝しています(宮司 平尾さん 中京テレビインタビューより)」
そうですよねぇ。
私も神社仏閣を巡っていて、維持ができなくなってきている寺社を目の当たりにしています。氏子の減少は、寺社への関心の低下もそうなのですが、そもそもの人口の減少もあります。先日も、千葉の小さな神社を巡った時に、高齢のおばあちゃんが一人で草取りをしている場面に出会いました。話を聞くと「近所の年寄4人くらいでやっているんだけど、もう奥の方は無理で藪に埋まっちゃって。せめて手前だけでも」と。
日本から神社が無くなってしまう危機を感じました。
ので、ちょうど改装中に来訪したのも縁です。3000円寄付いたしまして、こちらの限定御朱印帳をゲット(一番高いのに行けない性格をお許しください)。
これほど熱心な神兎神社さんですので、ささやかな寄付ですが、屋根も直しながら、どんどん栄えて頂ければと思います。
ちなみに社務所では、こちらの「うさぎみくじ」や「兎絵馬」、なで兎の描かれた「幸守」、「ちりめんうさぎ守」などが頂けます。
限定御朱印帳の裏表紙は、三輪神社さんのキャラクター「星野くん」です。通し矢の名手の神兎ということになるでしょうか。
こちらはあわせて頂いた限定見開き御朱印。素敵です。
実は、神兎研活動は、時間に余裕があまりないことも多く、これまで御朱印を頂いていませんでした。これを機会に折あれば頂いていきたいと思います。
ちなみに、偶然身近にいた「御朱印ガール」と話していた時、「最期に棺桶に入れて焼いてもらえると、神様がみんなで迎えに来てくれる」とサラッと言っていたのが印象的。
どうやら御朱印は「カワイイ」から集めているというわけでもないようです。逆に、それは「信仰」というほど重いものでなく、それでもライトに神仏の護りによる「癒やし」や「安心」を求めているらしい。
はい。神兎研も、ライトさ大歓迎です。私もライトです。日本の現代社会が抱える漠然とした閉塞感、不安感。ちょっとした信心が、心のバランスを保ってくれることはよくあります。
一時のブームではなく、神仏への日常的な崇敬として定着してくれると嬉しいなと思います。
では、恒例の名古屋めし・・
矢場町にいるんだから、矢場とんに行けよ、という話なのですが、ちょっと離れた「味噌かつ」の有名店。中川区の尾頭橋にある『葉栗屋(はくりや)』さんです。
こちらの名物『味噌かつライス』の登場です!
はい! ドーン!!
この山盛りキャベツ! これで「普通」盛りでございます。
名古屋の味噌かつは、八丁味噌(赤味噌)ベースのタレに、薄めの豚かつをどっぷりとつけたもの。濃いめですが、しょっぱくはありません。そしてご飯と最高に合うのです。
これは、うまい!
キャベツはやはり多かったですが、完食。アゴが疲れました。
お腹と相談しつつ、食べ切れる量をお楽しみください(「半分」くらいがおすすめかな)。
(参拝 2019年8月)