千葉神社 尊星殿 震宮 神兎

千葉神社の八方星宮の神兎(千葉県千葉市)


前回予告通り、星と神兎を追いかけて千葉へとやって参りました。
JR千葉駅

JR千葉駅。新しく大きい駅舎はホームと商業施設が多層構造になっています。モノレールが乗り入れているあたり、未来っぽい。

千葉市 親子三代夏祭り 千葉市 親子三代夏祭り

ちょうど市街では夏祭りが催されていました。「千葉の親子三代夏祭り」は千葉開府850年を記念してスタートしたお祭りで、今年で44回目。神輿、パレード、よさこい、「千葉おどり」など、盛りだくさん。

千葉市 親子三代夏祭り 玉簾 千葉市 親子三代夏祭り アイドル

玉簾を踊っていたり、地域アイドルが踊っていたり・・・

千葉市 親子三代夏祭り よさこい 千葉市 親子三代夏祭り よさこい

この日は、よさこいで盛り上がっていました。まさに親子三代、老若男女。真夏のかなり熱い中、千葉のエネルギーが溢れております。

千葉神社 妙見大祭 旗

少し駅から歩くと、神社の祭りの幟が立てられていました。千葉神社の「妙見大祭」。こちらと同じ時期に親子三代夏祭りが開催されているようです。神社から分霊を乗せた神輿を出し、街を巡りながら御仮屋(2kmほど離れた亥鼻いのはな山の麓)へ移り、7日後に戻ってきます。今日は、なか日にあたりますので、神社周辺は静かめでした。

千葉神社 尊星殿

神社の楼門へ到着しました。千葉神社です。朱塗りの豪華な二層の門で、左右にも小楼を従えています。こちらは後で戻ってまいりますので、まずは本殿へお参りを。

千葉神社 鳥居

と思い、境内に入りましたら、右手に鳥居がありました。こちらから入り直してみます。左右にある狛犬代わりの獅子は見事。獅子が自分の子を千尋の谷に落とす「獅子の子落とし」をモチーフに造られていました。

千葉神社 拝殿

さて、再び境内に入り、正面が二階建ての大きな拝殿。二階建てというのは、初めて訪れました。一階拝殿が「金剛殿」、二階拝殿が「北斗殿」と呼ばれていますが、どちらの階も奥にある同じ本殿を拝む形になっておりますので、多くの参拝者を迎えることができるように造ったということでしょう。珍しい。ちなみに中は撮影禁止でございます。結局、二階ともお参りしてまいりました(笑)。

主祭神 北辰妙見尊星王(ほくしんみょうけんそんじょうおう)
(天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ))
相殿神 経津主命(ふつぬしのみこと)
日本武尊命(やまとたけるのみこと)

主祭神である北辰妙見尊星王(ほくしんみょうけんそんじょうおう)様は、天の中央を定位とする北辰(ほくしん=北極星と北斗七星)の御神霊であり、通称「妙見様(みょうけんさま)」とも呼ばれ親しまれています。
古来より妙見様は、諸星諸神・方位方角を支配する尊い星の王であると讃称されており、その絶大なる霊力を人間界に投射することによって人の星(=人の運命)や全ての方位・方角を守護掌握する神様であると伝えられています。
日本の神話を記した『古事記』の冒頭には「天地初めて開けし時に成りませる神の名は天之御中主神」とあり、天の中央を司る妙見様と天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)様とは同一の神様であると考えられています。
妙見様は、道教・陰陽道や易学・九星気学・風水学の根幹となる特殊神であり、あらゆる守護能力を発揮する神様として庶民間に広く尊崇されております。
(千葉神社HPより)

主祭神とされる「北辰妙見尊星王」は、「北辰」また「妙見」とも呼ばれる、北極星と北斗七星を象徴とする「仏」。古くは中国の道教における北極星信仰が、仏教と習合して日本へ伝来しました。さらにそこから、神道における最初の神であり天の中心を象徴とする「天之御中主神」と習合します。

千葉神社は、明治の神仏分離令以前は「北斗山金剛授寺」と呼ばれており、明治の神仏分離令により「神社」を選んだため、神道での神名と、仏教の天部の名前を持つ神霊となったようです。

天の中央にあるという神性であり、道教においては星と方角は、人を始めとする万物の「運命」を示す思想があるため、その全てを支配する神として信奉されてきました。
通常の神道的な考え方というよりは、道教・仏教的な見方のほうが、こちらの信仰を理解しやすいかもしれません。

千葉神社 神紋

神紋は2つ伝わっています。一つが「三光紋」。一般には「月星紋」と呼ばれていますが、千葉神社では、一番外側を「太陽」、その内側の円を使っての「三日月」、左上の円を使っての「星」で、3つの光を表す「三光」です。

もう一つの紋が「九陽紋」。神紋・家紋においては、丸は星を表すことが多いですが、中央の大きな星の周囲に、9つの星が取り巻いている形です。星の数から「十曜紋」とも呼ばれます。この10の星が示す説は様々あります。

①北斗七星の七つと、太陽・月の二大天体を加えて九つの星とする説。とすると中央は北極星でしょうか。
②古代の占星術・易学において九つに分類される日曜星・月曜星・火曜星・水曜星・木曜星・金曜星・土曜星・計都星(けいとせい)・羅喉星(らごうせい)であるという説。計都星・羅喉星は、日食・月食を起こすとされた星として知られます。
③九星気学で定められる人間の運命星、すなわち、一白水星・二黒土星・三碧木星・四緑木星・五黄土星・六白金星・七赤金星・八白土星・九紫火星であるという説です。

いつも巡っている神社と異なり、星・方位についての用語が、まさに星の数のような膨大さで出てきますね。改めて思うと、日本の神道は「星」をあまり取り上げていません。自然の神霊や祖霊そして太陽を中心とした信仰とは、別の世界が見えてきます。

千葉妙見大縁起絵巻(栄福寺所蔵)

【千葉妙見大縁起絵巻(栄福寺所蔵)】

妙見信仰自体は、平安末期には既に関東に広まっていました。
千葉氏の祖である平良文が、平将門と共闘しつつも敗戦が濃厚な中、不思議な声に誘われた先の妙見の寺で、七星剣を渡され、戦いに勝利しました。良文の体には、月と星の印が浮き出ていたと言います。平良文から続く千葉氏は妙見信仰を強く持つようになり、一族を守護する神として、新たに城や館を建てる時には妙見社を建立していきます。

千葉神社 千葉常胤像大治元年(1126年)、千葉氏7代目である千葉常重(つねしげ)の代に、この地に千葉氏の本拠地が移ってきました。亥鼻山に亥鼻城を築き、近くの北斗山金剛授寺に、妙見の御神体を移したと言われます。

写真は、神社近くの公園に安置されている、千葉氏の中興の祖である千葉常胤の像。

先の成田の星神社界隈(こちら)でも記しましたが、千葉常胤は、平安末期から鎌倉時代前期の武将で、保元の乱を源義家と共に戦い、また源頼朝が挙兵し鎌倉幕府を開く手助けをしました。千葉氏の基盤が強固になるとともに、千葉各地にその信仰が根付くことになりました。


さて、先程くぐった楼門へ戻ります。

千葉神社 尊星殿

こちらの楼門は「尊星殿」と名付けられています。
特殊なのが、楼門の一階部分中央に、八方を向いた8つの祭壇が設けられていること。正八角形になっています。

千葉神社は他の妙見社と同様に、ほぼ南を向いて建立されているため、つまりこの八方の祭壇の入り口側が南、境内側が北となっています。
それぞれの祭壇には名前がつけられています。北側から時計回りに・・

千葉神社 尊星殿 八方星宮

坎宮(北)、艮宮(北東)、震宮(東)、巽宮(南西)・・

千葉神社 尊星殿 八方星宮

離宮(南)、坤宮(南西)、兌宮(西)、乾宮(北西)と名付けられています。

後天八卦と方位また耳慣れない言葉が出てきました。

こちらは八卦(はっけ・はっか)の方位を表しているらしい。古代中国から伝わる「易」では、世界は「陰と陽」の2つの状態の組み合わせで成り立っていると考えられていますが、その基本的な8つの組み合わせの図像(☰(乾)☱(兌)☲(離)☳(震)☴(巽)☵(坎)☶(艮)☷(坤))で、世界の全ての事象を説明します。

例えば、☰(乾)は、「天」「父」「北西」「秋~冬」。日本では十二支の読みに合わせて「いぬい」とも読みます。☴(巽)は、「風」「長女」「南東」「春~夏」を表し、日本語では「たつみ」。

方角のことを言いますと、八卦図では南を上にします。これは中国の帝が南面して国を見るから。北極星を背に背負い、あらゆる方角の事象を知るということは、ちょうど神の目線で世界を見ているということになります。新鮮。

さて「☳(震)」に向かいましょう。北から見て左側、東です。

千葉神社 尊星殿 震宮

こちらが「震宮」。そして額の周囲に2柱の神兎。
☳(震)が表すものは、「雷」「長男」「東」「春」。十二支でいうと「卯」の方角となります。

千葉神社 尊星殿 震宮 神兎

額を取り囲んでいるのは、白と茶の毛をまとった神兎。先述したように、十二支の方角では「卯=うさぎ」となることからの配置です。
波兎の連想からか、八方位でここだけ背景に波が採用されています。上にかかる梅と桜は、春の季節を象徴しているようです。

各方位にご神徳が書いてありました。こちら震宮は「陽気授与 生成発展」。太陽が昇る方向でもあり、また春という生命が芽吹く季節も意味し、“ここから全てが発生し、育っていく”という方角です。

千葉神社 日天神 月天神

尊星殿の左右には、日と月の神である、日天神と月天神の力を得るための柱が建っています。それぞれ陽明柱(日)、光輝柱(月)と呼ばれます。他ではあまり見たことがありませんが、天とつながって力を頂く場所です。

千葉神社 天満宮

さて、本殿の左手には「千葉天神」があります。やはり平安時代に勧請された菅原道真を祀る社で、社殿は千葉神社の旧本殿ということです。

千葉神社 天満宮 神紋

神紋は「星梅鉢」と「三光紋」。菅原道真と梅の縁は深く、多くの天満宮が梅鉢紋を用いています。中でも、九州の太宰府天満宮では梅紋、京都の北野天満宮では同じ星梅鉢。通常の梅鉢紋は花弁があることが多いのですが、花弁の無い「星」に近い星梅鉢を用いているのにも意味があるかもしれません。

というのも、天満宮の総本社である北野天満宮は、もともとは「大将軍(たいしょうぐん)」を祀る社でした。「大将軍」とは、陰陽道の方位神である「八将神(はっしょうじん)」の一柱。3年ごとに十二支に沿って位置を変え、その方角は凶とされる星神です。金星と同一視されることもあるようです。

この凶とされる神性が、大宰府に流され亡くなった菅原道真の怨霊を祀る御霊信仰と結びつき、現在の祭神となりました。すなわち「梅」というよりは「星」に近い神と言えるのです。

現在では、千葉神社の三光信仰ともつながり、「ツキ(月)を呼び、勝(星)を拾う」として、参拝者が増えているとのことです。

さて、そして、まだ星の神がいらっしゃいました。

千葉神社 摂社

天満宮の手前には摂社が多く並んでいます。香取神社、稲荷神社、金刀比羅宮、八幡宮などに並んで鎮座するのが・・・

千葉神社 摂社 星神

こちらの「星神社」です。祭神は「星香々背男神(あめのかがせおのかみ)」。勧請は寿永元年(1182年)ということでこちらも古い。

成田の星神社は妙見社でしたが、こちらは異なる星の神です。別の名では「天津甕星(あまつみかぼし)」と呼ばれます。

星や星の神についての記述がほとんどない記紀ですが、日本書紀に唯一出てくる神であり、なんと「天津神」です。それも体制に従わない“まつろわぬ神”として書かれています。

一書曰、天神、遣經津主神・武甕槌神、使平定葦原中國。
時二神曰「天有惡神、名曰天津甕星、亦名天香香背男。請先誅此神、然後下撥葦原中國。
『日本書紀』巻第二 神代下 第九段一書(二)

千葉では香取神宮、鹿島神宮でおなじみの経津主命と武甕槌命が、「悪神」と呼び、この神を倒さねば葦原中国(日本)へは行けないと言っているのです。また別の記述では、ある意味天津神最強である経津主命と武甕槌命が、地上で邪神や草木全てを服従させたのにも関わらず、この星香々背男神には手を焼き、別の神に頼って服従させたともあります。

実は日本全国の「星神社」は、妙見だけではなく、この「星香々背男神」などを祀る場合があります。特に関東では色濃く星神社が残っているように感じます。

この神々を見る限り、かつて星を信仰する集団があり、神道の勢力が、それらを取り込むのに苦労した過程が見て取れるような気がします。あるいは、記紀が書かれた時代にあった仏教的・道教的な要素こそが「星」だったのかもしれません。とすれば、当時の朝廷は、仏教などの取り入れにも積極的でもあったため、“あえて”星についての記述をさけた理由にもなるかもしれません。

妙見、八将神、星香々背男神。
星に関わる神々を、ぜひまた探ってみたいと思います。

千葉神社 お守り

社務所で、十二支のお守りを見つけました。外形は八卦の八角形になっていますね。卯を拝受いたしまして、神社を後にしました。

チーバくん

神社の外では、盆踊り的な踊りの輪がありました。千葉県のマスコットキャラであるチーバくんが踊っています。

千葉 親子三代夏祭り

親子三代夏祭りの会場へと戻ってきました。午後に向かい、ますます人が増えているようです。

千葉 親子三代夏祭り 串焼きはまぐり

軽くビールを一杯行きますか。つまみを探すと、ハマグリやアサリの串焼きを発見。東京湾は貝類の産地。縄文時代よりハマグリは食べられており、貝塚などから発見されています。

千葉 親子三代夏祭り 串焼きはまぐり

旨~。

千葉市市章そういえばもう一つ書くのを忘れていました。

こちらが千葉市の市章。

千葉氏の月星紋からとったもので、千葉の「千」を入れた形として、大正10年に定められたとのこと。こんなところにも「星」が受け継がれていました。

(参拝 2019年8月)


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