豊橋の菟頭神社。「うがしら」と読んでいるようです。「うさぎのあたま」とは一体?
豊橋駅から南へ向かい、渥美半島のつけ根、遠州灘の崖の内側に、菟頭神社は坐します。周囲は名産のキャベツなどの畑が広がるのどかな場所。集落の奥に鳥居を構えています。
下がっていく参道は珍しいですね。出雲大社の参道がそういえば下り参道で、色々と意味がつけられているようですが、こちらは、ちょうど海食崖の内側に参道が伸びており、特に意味はなく地形的な問題かもしれません。
「菟」の字は、正確には「草かんむり(真ん中分かれ)」+「免(上部は「刀」)」と書くようです。
参道を進んでいきます。海からの風が、潮の香りを運んできます。
境内の鳥居まで到着。境内は掃き清められており、地元の方に大切に崇敬されているのを感じます。
東海地方に良く見られる、寺のような重厚な瓦屋根を持った本殿。その虹梁上に…
海沿いの神社にふさわしい、波の上で追いかけっこをする2柱の兎像。波の表現が実に滑らかです。
さらに、数歩下がって・・・
両脇の2基の鉄灯籠の基部に注目!!
基部の周囲をグルグルと、何柱も兎が跳ねています!
明治31年に寄進された鉄燈籠のようです。兎の意匠が“モダン”ですね。
祭神 | 月読命(つくよみのみこと) |
祭神は、夜を治める月読命となっています。月といえば兎、ということで、これらの意匠につながっているのでしょう。ただ、由緒書きを見るともう少し複雑です。
当神社の創立年代は不詳ながら、三河国内神明帳に「正三位寅之大明神 坐 渥美郡」とあり、寛文11年(1671年)の高塚村免定書付には、「戸とうの宮様」と記されている。また明治2年の神社巨細取調書は「トトフの大明神」と称え、明治5年の郷社制度制定を機に「菟頭神社」と改称され今日に至っている。
つまり、もともとは「戸とうの宮」と呼ばれており、「菟頭」は当て字であるようなのです。また明治の初期は「ととう」と読んでいたと思われますが、どこかで「うがしら」と読み換えられたということでしょうか。となりますと、月読命がいつから祀られていたかが気になります。当て字の「菟」から連想されて祀られていたとすれば、明治より前については別神が祀られていたのかもしれません。
この「ととう」、柳田国男氏の研究の「遠戸」から来ているのではないか、という記述がネットにありました。対する言葉に「近戸」があります。関東近辺に「遠戸神」「近戸神」という神名が見られるようです。村の境におかれた「境の神(さかいのかみ)」(道祖神)の変化の1つのようです。
ただ、場所的には海側の崖の内側にあり、通常道祖神が置かれる場所ではないような気もします。この地域はかなり地震にみまわれた記録が残っており、本来の社地もここではないのかもしれません。
何にしても、もう少し調べてみないとわかりませんね…。課題として残し、神社を後にしました。
少し南に向かうと、すぐ海です。
渥美半島のつけ根で、このような砂浜と海蝕崖が、伊良湖岬まで西に続いています。ちょうどこの崖の裏手に菟頭神社はある形です。そういえば月読命は海原を治める神とも伝わっています(日本書紀)。「戸とう神」だけではなく、元から月読命も祀られていた可能性もありますね。
この付近の海の波は高く、どこか人を拒絶するような峻厳さがあります。海の向こうに、古代の人達は、神の世界を想像していました。神と人との大きな境界線がここにはあるような気がします。
名称 | 菟頭神社 | 住所 | 愛知県豊橋市高塚町字西方2 |
(参拝:2014年3月8日)